京都府大山崎町

*参考資料 『日本城郭体系』

*参考サイト  ザ・登城

宝寺城(山崎城・天王山城・大山崎町大山崎字天王山)

 宝寺城は、山崎の合戦で有名な天王山の山頂を中心として築かれた城である。

 今でも「ここが天王山」ということわざが使用されることがあるように、天正10年の山崎の合戦の際に、重要なポイントとなった場所でもある。つまり天下分け目の合戦の舞台となったわけである。

 それだけでなく、この合戦後、大坂城を築くまで、秀吉はこの山城を拠点としていたといわれる。いわば天下人の城でもあったわけで、いつかは行ってみたいと思っていた。秀吉の拠点となった城なら、すごい城なのに違いない、うん。

 宝寺城という城名は、中腹に宝積寺があるので、それにちなんで付けられた名称であるらしい。それ以外にも、天王山に築かれているので天王山城、山崎にあるので山崎城とも呼ばれている。

 天王山はハイキングコースとして整備されていて、訪れる人も多い。登り口も何箇所かにあるようだが、今回はとにかく車で宝積寺まで上がっていってみた。宝積寺までの道はけっこう細くてしかも急な坂道である。上に車を置けるかどうか不安だったのだが、宝積寺には駐車場があり、そこに置いておくことができたのであった。よかった。

 そこから三重塔の脇を通り、本堂に向かうと、「←天王山山頂」といった表示が出ている。それに従って、本堂の背後のほうに回りこむと、山頂まで続くハイキングコースに入り込むことになる。ここからの比高は190mほど、30分くらいのハイキングである。

 この山道は、わりと歩きやすい道であるが、段々になっているので、けっこうきつい。それでもどんどん上がっていくと、やがて酒解神社の鳥居が見えてくる。その脇には展望台が建てられている。この真下が山崎の古戦場なのである。この展望台に立つと、古戦場の様子は一望の下である。山崎合戦の軍勢配置図もあり、どの辺りで戦闘が行われたのかが、一目瞭然なのであった。実際に合戦が行われていた際にも、ここで観望している武将がいたのであろうか。

 ここから少しあがって行くと、十七烈士の墓所の上がり口に出る。十七烈士とは幕末の蛤御門の変で敗れた長州藩に加担した真木和泉らのことで、敗戦後、ここに陣取り、自刃を遂げたのだという。幕末においても、この山は、拠点となる場所であったのである。

 そこから歩いてすぐ酒解神社が見えてくる。酒解(さかとけ)とは変わった名称であるが、酒造と何か関係があるのであろうか。祭神はもともとは山崎神・酒解神であったが、現在はスサノオを祭っているという。この神社のある平場も、城の曲輪の一部ということができるかもしれない。

 ここから上が城内ということになる。神社の上には平場があり、通路脇にはAの土塁や堀切が見えているのだが、立入禁止になっているので、詳細は分からない。しかし、それなりの面積の平場がありそうである。

 さらに進んでいくと、山頂部が目に入ってくる。とりあえず山頂まで登ってみると、そこは長軸30mほどの平場である。ここが本丸ということなのだろう。北側には石がゴロゴロした、わずかに高い土壇のようなものがあるが、これが天守台というやつなのであろうか。天守台があるというので、かなり期待していたのだが、実際にはたいしたものではない。本当にこのような場所に天守が建っていたものかどうか、疑問を感じるほどである。

 この郭を中心として2や3といった平場が展開している。しかし、それほど大きな曲輪はない。山の上なので、広大な面積を確保することは難しいのであろう。遺構といっても、平場ばかりで、技巧的な構造物をほとんど持たない古いタイプの山城のように思われる。けっこう期待して上って来たのだが、わりとなんということもない城なのであった。

 天王山は天下分け目の合戦の舞台になったところであり、歴史的味わいの深い場所である。そういうところを訪れるというのは、それだけでも意味のあることだが、ここにあった城は、遺構としてはたいして面白いものではなかった。そういう意味では、ちょっと期待はずれになってしまったのであった。
 

南側の国道171号方面から見た天王山。山上が広いので、あまり鋭さを感じない山である。ここからの比高は220mほどある。
宝積寺から見た天王山。ここからの比高は190mほど。30分ほど歩けば山頂に到達する。
天王山はハイキングコースとなっているということもあり、わりとたくさんの人が山歩きをしていた。 途中の展望台から見た山崎古戦場。400年前、ここで羽柴秀吉と明智光秀との決戦が行われた。
酒解神社の少し下にある十七烈士の墓。禁門の変で敗れた長州方の真木和泉らがここで自決をした。 その上にある酒解神社。
神社からあがって行くと、Aの土塁や堀切状の部分が見えてくる。しかし、内部は私有地で立ち入り禁止となっているので、形状を確認していない。 1郭内部。正面奥が山頂の天守台ということだが、それほど明瞭なものではない。
2の郭。 井戸曲輪と井戸。
 この場所はもともと交通の要衝であり、国境でもあるということもあって、古くは細川氏らによって山城が築かれていたといわれる。

 





































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