沖縄県北中城村

*参考資料 『日本城郭体系』 『城』(沖縄県立博物館友の会)

中村家住宅(中城村中城)

 中村家住宅は中城の北1kmほどの所にある。国の重要文化財に指定されているので、地図にも掲載されており、また道路のあちこちにも案内板が出ている。

 入場料は500円とわりと高めであるが、見学した後、脇のお土産屋さんで、お茶とお茶菓子をふるまってもらえる。それも込みの料金というように考えれば、わりとリーゾナブルなのかもしれない。中城に寄った後、ちょっと訪れてみてもよいであろう。

 また、沖縄の古民家がこのような良好な状態で保存されているのは非常に珍しいということで、そういう意味でも一見の価値があると言っていいかもしれない。

 中村家は、母屋、離れ座敷、家畜小屋兼納屋、高倉といった4つの棟で構成されている。南国らしく、母屋や離れ座敷は風通しのよい構造となっている。

 家畜小屋には牛などを飼っていたようだが、その背後に「豚小屋」という3つの石組の枠があるのが印象に残った。さすが豚料理の本場である沖縄らしく、古民家には豚を飼うための施設もあったようである。豚小屋には、豚一頭が入るだけのスペースしかなく、ここでほとんど身動きもできないまま食材として飼われている豚のことを思うと、哀愁がこみ上げてきてしまう。

 屋敷の入口には二重の石垣の壁がある。かなり大きな切石を積み上げたもので、こういう構造物をみていると、中村家の勢力の大きさを感じることができる。

 入口の門は、直線的に内部を透かし見ることができないように、互い違いになっている。

国指定文化財となっている中村家の入口。入って右に曲がったところに門がある。 母屋の縁側。南国らしく風通しのよい構造である。縁側に座っていると心地よい。
豚屋背後の土手から全体を見たところ。手前に下に豚小屋がある。 井戸。その奥に見えるのは高倉。
 中村氏の先祖の賀氏は、護佐丸の師匠であった(とパンフレットに書いてあったが、何の師匠なのかよく分からない)ために、護佐丸が中城に移ってきた際に、共にこの地に移り住んできたという。

 護佐丸が阿麻和利の讒言によって攻め滅ぼされると、賀氏の一族も離散の憂き目を見ることになるが、1720年頃、再び貨運を盛り返し、この地の地頭に任じられたという。つまり中村家は18世紀の地頭の屋敷であったということになる。 




大城城・ミーグスク(北中城村大城138)

 中村家住宅のすぐ北側の丘陵山頂部分が大城城の跡である。城址には大きな水道施設が建てられているので、城址の位置はすぐに分かる。こちらは北中城村では最も高い山であるということである。北側の山麓から見上げると、大規模な山城であるように見える。

 地図を見てみると、水道施設のある城内まで道路が付けられているので、内部まで車で進入できるかと思っていたのだが、あにはからんや、やはり水道施設であるため、車止めがしてあって入って行くことはできないようになっていた。仕方がないので車は下の神社の入口に置かせてもらって、そこから歩いて登って行く。と言っても城内まではほんの数分である。

 北中城村の大城城のページを見てみると、中央の鞍部を挟んで西側が大城城、東側がミーグスクということで、城域は2つに分かれていたようである。すぐ近くにミーグスクが隣接するというのは大里按司の居城であった大里城と同様である。

 鞍部の部分にさしかかると、左手に石垣が見えてきた。しかし、このグスクの石垣としてはこれは新しすぎると思う。後世の産物なのであろう。それにしてもこの鞍部の部分から北側の眺めはとてもいい。北中城村の最高所にあるだけのことはあり、遥か遠方まで見晴るかすことが可能である。

 この東側がミーグスクということであるが、こちらは水道施設になっており、まったく立ち入り不能になってしまっていた。したがって、どのような構造物があるのかは確認できていない。

 一方西側が大城グスクである。大城グスクの北側は琉球石灰岩の断崖となっていて、なかなかの要害である。大城グスク内部に登って行く道が付けられていたので、ここを上がって行くと、途中にも岩がゴロゴロと転がっていた。そうして登って行った先が大城グスクということになる。

 ところが、上がって行くと、その先はヤブ状態になってしまっている。ヤブになるとハブに遭遇しそうな気がして心配である。本州のマムシだったら、向こうから逃げてくれるが、うかつに接近しようものならハブは積極的に襲ってくるらしい。そういうわけで、大城グスクの方も奥の方まで進入することはできなかった。一部には石垣も残っているということであるが、基本的には平場だけのグスクなのではないかと思う。 

南側にある中城城から遠望した大城城。中城城よりも少し高い位置にある。中央の水道施設の西側が大城城、東側がミーグスクである。 大城城の東側下にある石垣。これは新しくて、後世のものだと思われる。
大城城から見る景色。高い位置にあるだけあって眺望はとても利いている。天気も良くて気持ちいい! 大城城北側は石灰岩の岩壁となっている。
 大城グスク按司は、玉城グスク按司の次男であったという。築城されたのは14世紀頃のことであった。































大竹屋旅館