沖縄県沖縄市

*参考資料 『日本城郭体系』 『城』(沖縄県立博物館友の会)

*参考サイト  ちえぞー!城行こまい  ザ・登城

知花城(沖縄市知花)

 知花城は沖縄中央病院の南300mほどの所にある。比高30mほどの独立した山であり、山頂部には巨大な岩がある。城としてはあまり見るべきものはないが、この地域では拝所として有名な場所であるようで、地図などにも必ず掲載されている。また入口には案内表示もあるので、迷うことなく到達できる。

 東屋のある広場まで車で進めるので、そこに車を置いて歩き始める。この場所にはまとまったスペースがあるので、居館などを営んでいたとしたらこの空間であろう。

 ここから登り口に進んでいく途中の道はけっこう幅も広く腰曲輪のように見える。これを進んでいくとやがて城内への入口である石段が見えてくる。

 石段の高さはけっこうあり、なかなかきつい。しかし、これを上がると途中に郭と思われるスペース3がある。さらに登ると石段は大岩に突き当たり、道は左右に分かれる。このいずれにもそれなりに広場があり、これらが郭1,2である。

 郭1の東屋の所から、大岩に登るための遊歩道が付けられている。しかし、古びてしまっており人もあまり通らなくなっているせいか、遊歩道の鉄パイプがだいぶ錆びてしまっている。それで崩落の危険性があるため通行禁止となってしまっていた。もっとも、岩の上であるから、たいした平場ではないだろう。ただし、眺望は良さそうで、ここがこの城の拝所であったものと思われる。googlemapmp航空写真を見ると、この岩の上にも展望台のようなものが設置されているようだ。

 城といってもこれだけである。一応、郭と思われるスペースはあるが、どちらかというと、城というよりは、拝所としての機能が重視されていたグスクであったといった印象を受ける。

東側から見た知花城跡。比高30mほどの独立山である。 山頂にある岩の登り口。危険だと言うことで立ち入り禁止になってしまっていた。
 知花城の城主は鬼大城と呼ばれた大城賢勇であった。15世紀後半、時の王・尚泰久は、娘の百登足揚(ももとふみあがり)を勝連城主阿麻和利に嫁がせたが、その時に派遣されたのが鬼大城である。

 阿麻和利に謀反の企みがあることを、百登が尚泰久王に訴え出る際、百登はまず鬼大城のもとを訪れた。鬼大城は、阿麻和利の追手から逃れつつ、百登を連れて首里城に向かった。これによって、阿麻和利の陰謀は明らかとなったのである。

 自分の野望が王に漏れてしまったことを悟った阿麻和利は、軍勢をひきつれて首里城の攻撃に向かったが、すでに準備を整えていた王の軍勢に撃退されて、大敗してしまう。

 その追討を命じられたのが鬼大城であった。大城は首里の軍勢を率いて勝連城を攻撃、これを攻め落として阿麻和利を滅ぼした。

 阿麻和利の乱平定後、鬼大城は、越来・具志川・美里の三か所を領地として与えられた。また阿麻和利婦人であった百登は、鬼大城と再婚することとなった。

 現在でも知花城の城内には鬼大城の墓があるという。





































大竹屋旅館