沖縄県豊見城市

*参考資料 『日本城郭体系』 『城』(沖縄県立博物館友の会)

*参考サイト  ちえぞー!城行こまい  ザ・登城

長嶺城(豊見城市長嶺)

 長嶺城はつぼみ保育園の東100mほどの台地先端部にある。台地側からの比高は10mほどにすぎないが、東側の台地下からの比高は70mほどある。ただし、途中に案内表示などはないので、この保育園を目当てに探していくのがよいと思われる。

 つぼみ保育園の裏手の道を進んで行った先のピーク部分がグスクであり、その入口には長峰城の表示があるのだが、ここに通じる道は非常に狭い。また、この周辺の道はみな車幅いっぱいほどしかないので、車はどこか表の大通りの路肩辺りに停めておいて歩いてくるのが無難である

 ところが、城内に登る道はけっこう草むらの多い道であった。夕方だったこともあるが、沖縄はハブが怖いので、結局登城はしなかった。もっとも、城内にはそれほどはっきりとした遺構はないということである。

 これも城というよりは、拝所を主体としたグスクであったものだろうか。










つぼみ保育園脇から城址に向かう道。ここは車で通らない方が無難である。
 




豊見城(豊見城市豊見城東原)

豊見城は、沖縄戦と戦後の採石とによって、ごぼ湮滅状態にある。しかし、1988年に当時の豊見城村教育委員会が作成した推定復元図を基にして鳥瞰図を作成してみると、このような城であったらしい。

 豊見城は、南山王の弟であった汪応祖の居城であったと伝わる。
 後に三山が統一されると、豊見城は首里城防衛のための前線拠点の1つとして機能するようになった。


































大竹屋旅館