萩城(山口県萩市堀内)

 05.12.28日、子供たちのリクエストもあって萩を訪れた。(もっとも実際のリクエストは高杉晋作や桂小五郎関係の史跡であって、萩城は私自身の希望だったのだが・・・) 毛利氏36万石の居城としては、やや地味な感じがしないでもないが、それでも海に臨んで石垣を築き、たくさんの櫓を建ち並べた往時は実に壮観な様子であったことだろう。鳥瞰図は正保城絵図を参照して作成したものである。

 萩城は、関が原合戦後に防長二州に押し込められた毛利輝元が、新たな居城として取り立てた城としてよく知られている。毛利氏は本当は山口辺りに居城を築きたかったようだが、結局居城は日本海側の奥地の萩に築くことになった。そうなった理由には次のような事があったといわれる。

 当時、城を築くためには幕府に計画書を提出して許可を得なければならなかった。その際には第三候補まで出す必要があったのだが、外様大名に関しては、第一候補ではないところに許可を出すという傾向があったのだという。幕府による一種の嫌がらせといったところであろう。毛利氏としては第一候補に山口、第二候補に防府、第三候補に萩を考えていたので、順位を逆にして提出することによって、逆に本当の第一候補に許可が下りることになるのを期待したというわけだ。そうした所、幕府が許可を出したのは、第一候補として提出した萩になってしまったのだという。

 毛利氏は歯噛みして悔しがったが、第一候補に許可が下りたのだから文句を言える筋合いでもない。幕府にとっては第一候補が何であるかよりも、要するにできるだけ辺鄙な所に外様大名を封じ込めたかったのであろう。それも大大名であった毛利氏であればなおさらのことである。だから候補地をどうせっていしても、結局は萩に認可が下りることになったであろう。

 そういうわけで、日本海の辺鄙な漁村だった萩が、一躍、毛利氏の城下町となったというわけである。しかし、萩であったからこそ、その後の近代化の波もそれほど大きくのしかかってくることはなく、現在でも城下町のいい雰囲気を残しているのだとも言える。

 城は、日本海に突き出した指月山と浜との間の砂州を利用して築かれている。一種の海城といってもいいだろう。堀には海の水を引き込んでいるようである。水が青いのが印象的であった。指月山の山麓を囲むようにして、本丸、二の丸がある。さらに外堀は城下町を取り込むようにして存在していた。城下町もそれほど広くはないので、萩の町全域を囲む総構え構想をもっていたと言えるだろう。建物はことごとく失われてしまっているが、石垣はよく残っている。高さはそれほどでもないが、天守台などは、宮勾配を利かせたもので、下から登る事は難しい。天守は五層五重で、一層目が天守台から張り出したものであった。

 本丸の背後には指月山がある。標高143mの山だが、海に面しているので比高もそのまま143mである。平城に面した山としてはかなり高いものである。ここには詰めの城があった。詰めの城も総石垣造りであり、本丸、二の丸の2段に別れていて、2つの虎口には枡形門も存在しており、中世城郭だったとすれば、そこそこのものではあるが、近世城郭の付属物としてはあまりふさわしい感じのものではない。第一、これだけの規模の城で、この指月山に閉じ込められてしまうような事態になったとしたら、もうどうなっても落城は時間の問題であろう。実際、山上の城はほとんど用いられていなかったようで、普段は数人の藩士が交替で番をしてるだけであったという。

 このように萩城には建物こそはないが、石垣はよく残っており、それなりの雰囲気を味わうことができる。現在は城址公園となっているのだが、ただ、この程度の公園は普通の自治体ならば無料で公開しているものだ。ところがここは、公園に入るだけで入場料を取っている。それははどうか、という気がしないでもない。城址公園の近くに無料の民間駐車場があるのに、県営駐車場が有料なのもどうかと思う。

東萩駅の前には萩城天守の1/10スケールほどの大きな模型が置かれている。これが復元されたら見事だろうなあ。 萩城の三の丸の堀。海の水を取り入れているらしく、色が青いのが印象的だ。(後日、これは明治以降に開鑿された運河であるという指摘を受けた。)
この堀から見た指月山。標高143mほどあり、特に海側が険しくなっている。特徴ある形の山で、市内のどこからでも臨む事ができる。 三の丸にある厚狭毛利家の長屋。城址公園の入場券は、この長屋と共通券になっている。
二の丸南側の大手門。大きな枡形になっている。この手前にあった堀は埋められてしまっている。この脇に有料に市営駐車場があるが、すぐ手前の売店辺りには無料の駐車場もある。 本丸の虎口。現在は土橋になっているが、古図を見てみると、本来は木橋を架けていたようである。古写真を見ても確かにそうなっている。
天守台の石垣。高さは7mほどである。 本丸枡形の石垣。高さは4mほどで、それほど高いものではない。石垣の積み方もわりと乱雑である。
天守台に続く多聞櫓跡の城内側は雁木になっている。 天守台の礎石。
天守台から本丸大手門方向を見たところ。 天守台の石垣を上から見下ろすとこんな感じ。塁線が湾曲している様子がよく分かる。
天守台から見た指月山。この正面奥辺りから遊歩道が付いている。 本丸にあった茶室。
本丸庭園の池。 指月山に向かう途中の竹林の中にも石垣が残っていた。
指月山の詰めの城に向かう道はこんな感じ。頂上まで徒歩20分といったところである。 詰めの城の入口の枡形門跡。
詰めの城には井戸はなく、代わりに水を貯めるための穴が二ヶ所に掘られていた。写真は本丸の巨石の脇に掘られている貯水用の穴。 詰めの城から見た萩市内。ここからなら市内はすべて一望できる。
詰めの城の搦め手門の枡形。 日本海を望むこともできる。海の色がエメラルドグリーンで美しい。
城の石垣の積み方はわりと乱雑なので、こんな隙間ができている所もある。 萩は城下町の雰囲気もとてもいい。ゆっくりと散策してみるのもいいだろう。写真は桂小五郎の生家。この町にはあちこちに夏みかんの木がある。
高杉晋作の生家。 町外れの松陰神社に残されている松下村塾。うわさには聞いていたが本当に狭い。八畳二間ほどで、一見してただの小屋という感じ。しかし、ここで松陰が講義し、高杉、久坂等が学んでいたのだと思うと、それだけで感慨深い。





































大竹屋旅館