広島県庄原市

*参考資料 『日本城郭体系』

*参考サイト 山城攻城記

亀山城(庄原市東城町小奴可)

亀山城の位置はこの辺らしい

 庄原市東城町にある亀山城である。広島にお住まいのA氏からのリクエストで、A氏からいただいた図を基にして鳥瞰図を描いてみた。しかし、実際に訪問したわけではないので、本当にこのような城なのかどうかは分からない。

 亀山城は、JR芸備線「小奴可(おぬか)」駅の南500mほどの所にある比高40mほどの亀山と呼ばれる小高い岡に築かれている。1郭と2郭が段郭城に置かれ、その南西下には居館跡と呼ばれる平場があった。
 1郭の東南下には、迷路状になった浅い堀が掘られているという。
 また、居館跡には県指定の天然記念物となっている「要害桜」がある。


 亀山城は、戦国時代には、宮氏一族の小奴可氏の居城であった。城主小奴可隆盛は、尼子氏に属し、天文22年(1553)、備後国江田の旗返で、毛利軍と戦って戦死したという。
 その後の小奴可氏は、毛利元就・隆元に降伏し、毛利氏の家臣となった。



































大富山(おおとみやま)城(庄原市西城町)

大富山城の位置はここ

*広島のAさんからの依頼で、Aさんからいただいた図面をもとに作成した鳥瞰図。というわけで、まだこの城には訪れていない。

















































 久代宮氏(西城宮氏)の本拠であり、大規模な城郭である。宮氏は5代約60年間にわたってこの城を拠点としていたが、天正19年(1591)、宮広尚は出雲の国塩治に領替えになるまで5代約60年間在城となる。
 代わって入封してきたのは天野新兵衛尉元嘉であった。慶長5年(1600)、関が原の合戦の後、毛利氏の国替えがあり、安芸国は福島正則に与えられた。その後、大富山城は廃城となったものと考えられる。。




五品嶽(ごほんがたけ)城(庄原市東城町東城)

五品嶽城の位置はここ

*広島のAさんからの依頼で、Aさんからいただいた図面をもとに作成した鳥瞰図。というわけで、まだこの城には訪れていない。

 大富山城ともども宮氏の城であったという。後に宮氏は大富山城を築いて移っているので、こちらの城はその後支城となったと思われる。




甲山(こうやま)城(庄原市本郷町)

*広島のAさんからの依頼で、Aさんからいただいた図面をもとに作成した鳥瞰図。というわけで、まだこの城には訪れていない。

甲山城は、円通寺の背後の比高110mほどの山稜全域を城域とした山城であった。円通寺のある場所も郭の一部であったろう。

 甲山城は山内氏の居城であった。相模国山内庄(現在の鎌倉市)の出身で山内を姓としていたこの一族は、鎌倉時代に、地毘庄の地頭となり、この地域の土着した。その後、甲山城を築いて居城としたのだと思われる。

 戦国期になると、山内氏の勢力は強大化し、備後国でも有数の実力者となっていた。一時期は毛利氏に拮抗するほどの勢いがあったが、毛利氏の攻勢には耐えられず、後に毛利氏の家臣団に組み込まれることになっていく。




























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