横山城(滋賀県長浜市横山)・石田三成屋敷(長浜市石田)

 横山城は、長浜市の東端、石田山公園内にある。県道509号線を走っていくと、西山麓付近に駐車場があり、そこから城址まであがって行けるハイキングコースがある。比高200mほどの山稜を利用した城郭で、麓から30分ほど歩くと城内に到達する。 この登城道は切通しのような道になっているのだが、これも城に伴うものなのであろうか。

 図の1の郭が主郭部であるといわれる。確かにこの城において最もしっかりとした遺構はこの郭の周辺に集中している。2郭の周囲の土塁や虎口、その下の竪堀、東側下の堀切などである。ただ、ここが主郭とすると、主郭の位置がずいぶん東側に寄ってしまっているのが気になる。敵である浅井氏の小谷城は北側にあるので、それでよかったのだといえばそれですむのかもしれないが、全体のバランスを考えると、4の郭辺りを中心にしたいところである。この4の郭は城内の最高所に当たり、見晴らしもとてもよいのであるが、方15mほどの規模しかない。城の中心となるには少し狭いのである。

 この城にはあまり見所のある遺構は少ない。他にめぼしいものとしては7の郭と6の郭との間にある二重堀や、7の郭の先の土塁による虎口などであるが、それにしても規模は小さいものである。あの木下藤吉郎が入城し、浅井の小谷城と対峙した城としては実に簡素なものである。しかし、実際のところは大規模な工事を新たに行う余裕はなかったのかもしれず、とりあえずの向城としてはこの程度でもよかったのかもしれない。ということは元亀元年頃の織田家における陣城はこの程度のものであったということである。大規模な城郭がどんどん造られるようになるのはもっと先の話なのであろう。

 城そのものは、この通り、たいして面白いというほどのものでもないが、ここには実際に木下藤吉郎が、城将として入城していたのである。そう思うと何か特別の城のように感じられてしまうから不思議なものである。

 城からは北に姉川古戦場、そして小谷城をはるかに望み見ることができる。





横山城へのハイキングコースにはいるとすぐに薬研堀のような切通の通路が続いていく。城に関連があるのかどうか分からないが、通路のためにかなり深く切り通していることは間違いない。 途中、沢を利用した堀切があった。しかし本郭部はまだまだ先である。
途中の尾根から見た横山城。中央に見えているのが西側の郭のある尾根である。 1郭に上がる道。手前には堀切もある。
西側下から見た1郭の城塁。この左側に大きな竪堀がある。 3の郭。城内最高所である。広さは方15mほどしかないが、位置からすると城の中心部にあたる場所である。
西側の郭には二重堀切がある。写真は郭内側から内側の堀切を見たところである。正面に見えているのが二重堀切の中央にある土塁。 横山城の麓の石田村には石田三成の屋敷跡と言うところがある。また、この付近は各所に「石田三成生誕地」ののぼりが立っている。
横山城は、もともと浅井氏の小谷城の支城として築かれ、城将として始め浅井越中守井演がいた。だが元亀元年の姉川合戦の頃には、大野木土佐守茂俊が守っていた。しかし、姉川合戦で浅井軍は大敗、勝ちに乗った織田軍は横山城を攻撃して奪取に成功した。その後、城には木下藤吉郎秀吉が入城し、小谷城に対する前線基地の1つとなった。秀吉はこの城を拠点として、浅井氏の家臣らを次々と諜略し、浅井氏は次第に孤立して行った。そして天正元年、浅井氏が滅びると、横山城もその役割を終えて廃城となったと思われる。

*関連サイト  近江の城郭 





















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