徳島県東みよし町

*参考資料 『日本城郭体系』

*参考サイト  城郭放浪記

東山城(東みよし町東山柳沢192)

 東山城は、願成寺の北側にそびえる比高300mの急峻な山上に築かれている。遠くからでもかなり目立つ山容である。また、県道を挟んで山麓南側には平素の居館であったと思われる田ノ岡城がある。

 城の登り口までは林道が付けられている。したがって、この林道を使えば山の中腹近くまで進んでいくことができるのであるが、舗装された道であるとはいえ、かなり細い道である。大型の車や運転に自信のない人は素直に下から歩いて登る方が無難だと思う。(今回、私は軽自動車で訪れたのだが、林道入り口部分の脇に木が生えていて狭くなっていることもあって、その先が心配になってしまい歩いて登ったのだが、軽自動車ならまあまあ走れる道である。)

 林道の登り口は2カ所あるが、東側からの方はもうだいぶ車が通っていないらしく道路に落ち葉がだいぶたまっていた。そのルートよりもこの位置から始まる林道の方が運転しやすいであろう。対向車もすれ違えないような林道であるが、道そのものはちゃんとしている。これを進んでいくと、この辺りの路肩に車が縦3列ほどに停められそうな箇所がある。ここに車を停めて尾根先端方向に進んで行った辺りに城址への登り口の案内が出ていた。この位置である。後は山道を進んでいけば城址に到達することができる。

 ただ、山の中腹のこの位置(下の図のA)にも駐車のためと思われるスペースがあり、そこまで軽トラでなら来られそうな未舗装の道が接続していた。登り口がどこにあるのかは確認していないが、車種によってはここまで車で来ることも可能なようである。このスペースのすぐ上に作業小屋のようなものがあり、車道はそこへ行くために付けられたものであると思われる。

 登り口から山道を進んでいくと、いったん尾根が平坦に延びている箇所に出る。この尾根を進んでいくと、尾根の側面部に横堀が長く掘られている。さらに斜面が登りになって行った辺りには、斜面脇に横堀状の切り通しが延びている。

 これらが城郭遺構なのかどうか確信は持てないが、見た感じは城郭遺構といってもよさそうである。中腹の尾根を守備するためのものであったのだろうか。ちなみにこの切り通しの上まで上記の未舗装の林道が付けられていて、Aの駐車スペースへと接続しているのであった。

 ここから急斜面を直登するように比高で100mほど登って行くと、やがて、先端の郭にある展望台が見えてきた。山道はさらに右手の側面部を進んでいく。すると斜面に2本ほどの浅い竪堀が掘られている。この先の部分から手前に戻るようにして登った所が展望台のある3郭である。

 3郭から先に進んだところに城址案内板が設置され、脇には簡易トイレまで設置されている。かつて城址公園として整備されたことがあるのであろう。

 そこを進んでいったところが1郭先端部の堀切である。城塁は鋭くなかなか見ごたえのある堀切である。面白いのは、この堀切の脇に逆茂木や竹束楯などが設置されており、案内板も付けられているところである。こうした中世城郭遺構を復元するというのはなかなか面白い試みであると思うが、現在ではかなり朽ち果ててしまっている。

 どのまま道を進んでいくと、道は横堀となっていく。左側のすぐ上は1郭城塁であり、上から狙われたらひとたまりもない。さらに進んでいくと、1郭の城塁が折れているのにしたがって、横堀もクランクして登りになって行く。

 その先に1郭北側の堀切があり、両端が竪堀となって落ちて行っている。堀切はその先にもさらにありそうだったので、そのまま通路を進んでいくと、予想した通り、その先にも2本の堀切があった。ただし、1郭北側のものに比べるとかなり規模は小さくなっている。それでも一番北側の堀切は折れを伴っており、さらに両端に長い竪堀が掘られていた。

 最後の堀切の外側は土塁状に盛り上がっている。そしてその先にも郭が存在している。6郭である。南端の土塁はそのまま西側に回り込んで延びている。6郭の先は緩やかな斜面となって北側の尾根に接続していた。これだけの城郭であるのに、北端の区画はわりとあいまいな感じであるのが意外であった。

 ひるがえって1郭に戻って行く。1郭の北端部分は4m四方ほどの方形の区画になっており、そこに祠が祭られていた。かつての櫓台というべき部分である。この部分、腰曲輪的な構造を途中に配列しながら1郭の平面部分に接続していくようになっている。

 その先が1郭であるが、あまりきちんと平坦化されてはいなかった。さらに中央部に塚状の土壇があるのが目についてくる。これはいったいどういう意味のものなのであろうか。また、1郭の南半分くらいの所には、直径20cmほどの石がたくさん転がっていた。これらの石には案内板も設置されており、そこには「割石」とあった。接近する敵に投石するために郭内部に貯めておいた石ということのようである。確かに城塁部分ではなく、郭の内部に転がっているのだから、石垣の名残などではなく、投石用のものと解釈するのが一般的ということになるだろう。

 1郭の南西側は一段窪んだ地形になっていたようで、ここに2郭が造成されていた。ここにも割石がたくさん転がっている。近くに石が産出できそうなところはなかったから、これらの石は下からわざわざ運んできたものなのであろう。大変な労力である。

 1郭の西側側面下にも帯曲輪が造成されている。この帯曲輪は1郭南端に差し掛かるころに横堀となり、1郭南端の堀切と接続している。

 東山城はそれほど大規模な山城というわけではないが、コンパクトによくまとまった構造をしている。堀切や折れを伴った横堀など、それなりによく計算して作られている。戦国期のこの地域を代表する山城の1つと言ってもいいものである。

林道入口にある東山城登山口。 中腹の尾根には横堀状の通路が掘られている。
3郭にある展望台。 1郭南側の堀切脇に復元された逆茂木。倒れてしまっている。
その反対側には竹束楯が置かれていた。こちらはすっかり朽ち果てている。 1郭東側下の横堀。大規模な折れを伴っている。
1郭北側の堀切。この先にも2本の堀切がある。 1郭櫓台上に祭られている祠。
1郭内部。中央部に塚がある。 1郭周辺には石がたくさん転がっている。案内板居は投石用の割石とある。
1郭側面部の石垣。 1郭南側の堀切。
 東山城は南北朝時代に南朝方の武将(脇屋義助の子義広)が拠った城であると言われている。八石城、田尾城とともに、当地域の三大山城であった。

 細川方がこの城を攻撃しようとしたが、籠城衆は、自然の天険を利用した攻撃を行い、なかなか落城しなかった。こうしたことから、東山城は阿波の千早城と呼ばれているという。城には白米伝説もあるとのことである。

 戦国時代になると、東山城は白地城の大西氏の支城となっていた。城主は大西頼武の弟、大西備中守元武であったと言われている。

 元武はもとは轟城の城主であったという。天正5年、。東山城は長宗我部勢の攻撃を受けて落城した。大西元武は城を脱出したが、伊予の妻鳥村で殺害されてしまったという。




田ノ岡城(東みよし町昼間)

 田ノ岡城は県道12号線鵜を挟んで東山城の南側にあった。ちなみに県道には下の写真にもある立派な案内板(「東山城址・大木戸跡・田ノ岡城址」)が設置されており、この辺りに田ノ岡城があることは分かるのだが、田ノ岡城については、実際にどこがそうであるのかは理解しにくい。

 矢印の方向には道の脇のスペースで、そこには民家があるだけで、車を停めることもできない。仕方がないので、もう少し進んでいった先から、南側の台地下に降りていく道を進んでいった。結局、台地下まで降りて行って、小川谷運動公園の駐車場に車を置いて、それから台地上に登って行くのが分かりやすい。

 公園駐車場から歩いていると、上の台地に登る道があったのでそれを進んでみる。台地部分に上がると、図の1と2の2つのピークがあるのが見えている。

 現地案内板によると、「南丘に本丸、北丘には支城があった」とある。すると図の1が本丸、2が支城ということになるのであろうか。ところが実際の所、1には狭隘なスペースしかなく、とても本丸と呼べるようなものではない。台地そのものが大きく削られてしまっているか、地形が改変されており、図の1,2ではなく別の個所を指しているかのどちらかであろう。

 1の西側は工事車両置き場のようになっているので、実際には1はもっと西側に延びていたものを削り取って端部分しか残存していないのかもしれない。

 工事車両の脇を通って1の北側に回り込むと、そこに田ノ岡城の城址標柱が立てられていた。なるほど確かにここが城址でいいらしい。そこから1郭内部に入ってみるとそこには小さな神社が祭られていた。

 それだけである。先にも述べたとおり、それ以外に居住スペースは何もない。

 結局これだけではどんな城なのかさっぱり分からない。おそらく地形そのものが改変されているのだと思うが、現状ではまったく城の形状を成していないとしか言いようがない。




 城の歴史もさっぱり分からない。田ノ岡刑部の居城であったというが、この人物のことも未詳である。現地案内板では「東山城の対の城」とある。「対の城」というと、東山城を攻撃する際の付け城といういみであろうが、付け城にしては少々近すぎるのではなかろうか。位置関係からすると、東山城の山麓居館と言った方がぴったりくる。










西側から見た1郭(右)と2郭。間が堀切? 1郭には神社が祭られ、入口には城址標柱が立てられている。
田ノ岡城の遺構はまったく見所がないが、県道にはこのような立派な案内が出ている。





































大竹屋旅館