丸亀城(香川県丸亀市一番丁)

 丸亀城はとにかくすばらしい! 日本の城の中で好きな城っていうとたくさんあるのだが、そのうちでも最も好きな城の1つがこの丸亀城なのである。

 小学校の時、突然私は城好きになった。なんで急に城が好きになったのか、その理由はよく覚えていない。小学校の時、近所に城らしい城はなかったのに、どうして城に引き込まれてしまったものだろうか。考えてみると不思議な話である。でも、それ以来ずっと城好きのままである。

 城に興味を持ち始めたころ、うちにあったジャポニカ百科事典で「城」の項目を引いてみたことがあった。そこには日本を代表する城の写真がいくつも載っていたのだが、その中でもひときわ目を引いたのが丸亀城の写真であった。高い石垣が三段に積み重なっているさまはまるで西洋の城のようであり、それはとにかく衝撃的なものだった。それを見た瞬間「こんな城が日本にあるんだ!」って思ったことを今でもはっきり覚えている。

 この鳥瞰図はその時の写真に近いアングルで描いてみたものである。それはともかくとして、それ以来、丸亀城は私の心の中で「スペシャルな城」になっていた。大人になったらぜひこの目で見てみたい、と心に誓っていた城の1つであった。

 そんなこともあって、初めて丸亀城の写真を見たあの日から10数年後、就職した年には、さっそく四国の城めぐりをすることにした。もう20年以上も前のことである。それは自分にとっては思いで深い旅行であり、飛行機に乗ったのも実はその時が初体験で、それは今はなきYS11であった。

 平日の早朝1番の便であったためか、乗客は私と彼女の他には2名だけ、乗務員よりも乗客の数の方が少ないという珍しい体験もした。・・・・・そんな風にして四国に行き、ついに訪れた丸亀城、それは期待を裏切らないすばらしい城であった。それから20年たってまた訪れたわけだが、何度訪れても、「この城はすばらしい」って印象は変わらない。

 高石垣を持っている城は他にもいくつもあるが、このように石垣が段々になっているさまを明瞭に見ることができる城ということでは、この城以上の城はないのではないかと思う。今も昔もその気持ちは変わらない。今回は娘と二人で訪れたのだが、娘もこの石垣が目前に迫ってくるさまには感嘆していた。「まるで要塞みたいだね」

 鳥瞰図の作成に際しては、「正保城絵図」を参考にしようとしたのだが、どうもこの城の絵図からは当時の情景は浮かんでこなかった。したがって、かなり想像を働かせて描いてみることにした。なお、「正保城絵図」には、櫓は本丸と二の丸にしか描かれておらず、そのほかの部分については、櫓台のみしか描いていない。生駒氏が左遷された後、丸亀城は一時廃城となっている。その後京極氏の入城によって、城は再建されることとなるのだが、その際には本丸と二の丸の櫓しか再現されなかったのではなかろうか。

 「正保城絵図」は京極氏時代以降のものであろうから、そこに描かれているのは一度廃城になってからのものである。しかし、生駒氏の築城当時は、山麓部分にいたるまで、きちんと建造物が存在していたはずである。ってことで、城の創建当時を想像してみた。

北側の市役所方向から見た丸亀城。石垣が見事である。 裏側の搦め手方向から見た城。こちら側の下部分は石垣ではなく土塁構造である。
西側の土橋。「正保城絵図」ではこの道は描かれていない。後世のものだろうか。ちなみにここを入っていったところが無料駐車場となっている。駐車場を探すのにはちょっと苦労してしまった。 北側の大手門。枡形構造の正統派の門である。
大手付近の堀。石垣の先に櫓台が見える。 坂道を登っていくとすくに高石垣が見えてくる。なかなかすごい高さだ。
三の丸辺りに入る坂虎口。 左の坂虎口の左側の石垣と櫓台。こちらもなかなかの高さである。
二の丸の枡形虎口。 本丸の坂虎口から見た天守。
本丸に上がるとすこぶる眺望がよい。瀬戸大橋方面を見た所である。 本丸内部から見た天守。1層目の南北にしか下見板張りを張っていないのがめずらしい。
本丸から見た讃岐富士。 本丸から見た金毘羅さん。金毘羅にも寄ったのだが、あの石段にはいやはや疲れた・・・・・。
本丸の櫓台を二の丸から見たところ。この城の石垣はどこから見ても見事である。 延寿閣。麻布にあった旧京極家の別邸を移築したものであるという。
二の丸南側下にある井戸。 二の丸西側下から無料駐車場を見下ろしたところ。千葉から乗ってきたロゴが留まっている。千葉から四国までは800kmほどであった・・・。
本丸の北側下の虎口。石垣が一部崩れてしまっている。 二の丸下の石垣。この日は発達した低気圧の影響で台風並みの強風が吹いていたので、身を乗り出すと危ない!
北側下から見た天守。どこを撮っても絵になる城である。 城の下の御殿跡。
(以前の記述)丸亀城と言えば真っ先に思い出すのが、何と言っても見事な高石垣であろう。小学校の時に初めて丸亀城の写真を見たときに、「日本にもこんな見事な石垣を持った城があるんだ」と感動したのを今でも覚えている。規模こそはさほど広大という訳ではないが、1段、2段、3段と積み上げられた石垣はこの城独特のものがある。山上に天守が1つだけポツンとあるのが何とも寂しい(現存天守の中では最小規模で、ちょっと大きな城の3層櫓にも負けてしまう規模だ)が、背後にある讃岐富士が、きれいな稜線を見せており、城とのマッチングはなかなかよい。かつては、石垣の塁上にいくつもの櫓が建ち並び、見事な姿であったことだろう。天守は生駒親正築城当時のものではなく、寛永19年(1642)に山崎安治が着工し、万治3年(1660)の京極高和の時代に現在の形に完成したものだという。
































大竹屋旅館