徳島県美波町

*参考資料 『日本城郭体系』

*参考サイト  城郭放浪記

日和佐城(美波町日和佐浦445−1)

 日和佐城は、日和佐の港を抑える位置にあり、これまた典型的な海城なのであった。

 日和佐城には昭和53年に建てられた模擬天守がそびえており、地図などにも必ず掲載されている。また、付近の道路を走っていれば、いやでも模擬天守の雄姿が目に入ってくるので、その場所はいやでも分かる。

 もちろん中世城郭にこのような立派な天守があろうはずもなく、この天守は日和佐勤労者野外活動施設として旧日和佐町が建てたものである。日和佐城は比高60mほどの急峻な山上に築かれているが、そのおかげで、駐車場となっている2郭まで車で登って行くことができるので、訪問するのは楽ちんである。

 残念なことに、模擬天守の建造とそれに関する土地の整備のために、遺構は分かりにくくなってしまっている。『城郭体系』によれば、「石垣が散見できる」のことであるが、どれがそうなのかさっぱり分からない。1郭周辺の石垣はかなり立派なもので、蜂須賀時代の石垣のように見えるものであるのだが(阿波9城である大西城牛岐城などと比較して、石の大きさや積み方が共通している)、これも天守建造の際に築かれたものだということなので、遺構としてみるべきものではないらしい。

 堀切や土塁などの典型的な城郭遺構は見られなかったが、平場は各所に造成されているので、山城にしては専有面積はそこそこある。2郭をはさんで南側にもピークがあり、遊歩道が付けられている。3郭の南側は城域末端に当たる部分であり、通常ならば、ここに大堀切を入れるべき個所であるが、実際には天然の鞍部だけであり(若干堀切状に見えなくもないのだが)、明確な堀切は見られなかった。ただし、側面下には腰曲輪が造成されて降り、この辺りまで城域であったことは間違いないと思われる。

 3郭もまとまった平場となっており、ここには別荘が一軒建てられている。

 この他にも西側下の5郭や北側下の6郭(現在のテニスコート)などの郭があり、郭面積は十分に確保されているといっていい。

 日和佐城は日和佐の港を抑える山稜上にあり、模擬天守からの眺望も非常によさそうである。模擬天守には展示物はないが。玄関には「入場無料です。中から眺望をお楽しみください」などと書いてあったので、景色を見るのが楽しみで、模擬天守に登ってみようとした。ところが、模擬天守には鍵が架けられていて、展望台まで上がることもできなかったのであった。残念! せっかく来たのだから、ちょっとだけでも内部に入ってみたかった・・・・・・。 




日和佐山。正月明けで、城塁に「賀正」というデザインが施されていたのだが、分かるであろうか。 2郭駐車場から見る模擬天守。
天守の石垣はわりとリアルなものであるが、一部は遺構なのだろうか。 3郭にある別荘。
3郭の南端部分。堀切といえるほどの区画ではない。 6郭はテニスコートとなっている。




日和佐陣屋(美波町奥河内本村18−1)

 日和佐陣屋は現在、美波町役場のある場所に存在した。背後に山稜、全面が海という要害地形である(逃げ場のない地形ということもできるかもしれないが)。

 役場の前まで行ってみると、そこに城址碑と案内板とが建てられていた。右の鳥瞰図はこの案内板に掲載されていた陣屋配置図を参考にして想像復元してみたものである。

 役場には駐車場があるので、少しの間、役場の駐車場に停めさせていただいた。

 周囲は市街地化が進んでおり、もともと地形改変の少ない陣屋であったうえに、現在は役場の建物が建てられているので、遺構と思われそうなものはほとんど存在していない。

 ただし案内板によると、北西隅の土塀の一部と、的場石、蜂須賀氏の卍紋がついた瓦などが残されているとのことである。


 阿波藩のこの地域での代官所としては、海部陣屋が存在していたが、文化4年(1807)、海部の郡代官所機能がここに移転されて新たに陣屋が営まれることになった。これが日和佐陣屋である。以後、明治維新に至るまで、郡の代官所として機能していた。

 
























美波町役場が陣屋跡であり、石碑や案内板が建てられている。





































大竹屋旅館