鳥取県北栄町

由良台場(北栄町由良お台場公園内)

 北栄町の海岸線近くに「お台場公園」と呼ばれる公園がある。この名称の通り、由良台場はこの公園内にあるのだが、ちょっと注意しなければならないのは、この公園、お台場以外の部分(グランド、テニスコート、子供公園など)がけっこう広くて、肝心のお台場を探すのにちょっと苦労してしまうということだ。

 台場は公園の西端の、由良川沿いにあるのだが、今回の訪問時には、東側の駐車場に車を停めてしまったために、台場遺構にたどり着くまでけっこう歩かなければならなかった。しかも台場のすぐ東側に隣接するこども公園には、大砲が展示してあり、さらにその周囲に土塁がめぐらされているので、最初はこのこども公園が台場跡なのかと思ってしまった。車で訪れる際は、なるべく、西側の方に駐車することをお勧めする。

 子供公園の土塁が分断されているのを目にしたときには「遺構が公園化でずいぶん破壊されてしまっている!」と思ったものだが、これは台場ではなかった。しかし、こちらにも土塁があることは事実で、こども公園も何かの施設の跡であったのだろうか。

 台場は八角形を二つに割ったその上半分といった形状のものである。東西120m、南北60mほどの規模がある。

 土塁はかなり重厚なもので、三段構造になっており、下から最上部までの高さは5m余りある。上端幅も4mほどあり、かなり広く感じる。

 4箇所に、土塁で囲まれた小区画が見られるが、これが砲台の跡であろう。
 また、南側の虎口には蔀土塁が存在している。

 石垣こそは用いられていないが、幕末の台場がほぼ完存しているという点で、非常に貴重な遺跡であるといっていいだろう。

台場跡の東側にある子供公園の端に置かれている大砲。大砲が置いてある上に、この子供公園も土塁によって囲まれているので、最初、そちらが台場跡なのかと勘違いしてしまった。 子供公園の西側に行くと、そこに重厚な土塁によって囲まれた台場がきれいに残っていた。
台場は、八角形を半分に切ったような形をしている。その四隅には砲台跡と思われる土塁で囲んだ部分がある。ちょうど日本海に夕日が沈む時刻であった。 上にいる人間と比べてみると、土塁がいかに大きなものであるかが分かるであろう。
南側の虎口辺りから北側の土塁を見たところ。 南側の虎口。その先に蔀土塁がある。
 由良台場は、幕末に海防上の理由から鳥取藩によって築造されたものである。この場所には藩の蔵が置かれた由良港があり、この蔵と港の防衛という目的を兼ねていた。

 工事が始まったのは文久3年(1863)のことであった。高島秋帆に砲術を学んだという武信潤太郎が総指揮を取って行われた。ところが、折から鳥取藩の財政が窮乏していたため、藩の予算なしに工事を行わねばならなかった。しかし、地元の篤志家らの融資を受け、延べ7万人以上の百姓を動員して工事が行われた。藩の蔵を守るためなのに、藩がまったく金も人員も出さないというのもいい加減な話である。結局、財政難から、台場建設後も、その管理は地元農民らに任せていたのだという。こんなことをやっていては、幕藩体制が消滅することになってしまったのも当然のことだ。

 建設はされたが、実際に海防の役に立ったのかどうかは不明である。




































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